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花を育てた良寛
良寛は晩年、木村家庵室のまわりにいろいろな花を植え、丹精を込めて育てていました。
我が庵(いほ)の 垣根に植ゑし 八千草(やちぐさ)の 花もこのごろ 咲き初めにけり
ところが、五月に大風が吹いて、花々が倒れてしまいました。それを嘆いた長歌があります。
み園生(そのふ)に 植ゑし秋萩 はたすすき すみれたむぽぽ 合歓の花 芭蕉朝顔 藤ばかま 紫をに露草 忘れ草 朝な夕なに 心して 水を注ぎて 日覆ひして 育てしぬれば 常よりも 殊にあはれと 人も言ひ われも思ひしを 時こそあれ 皐つきの月の 二十日まり 五日の暮の 大風の 狂ひて吹けば あらがねの 土にぬべ伏し ひさかたの 雨に乱りて ももちぢに もまれにければ あたらしと 思ふものから
風のなす 業にしあれば せむすべもなし
わが宿に 植ゑて育てし 百くさは 風の心に 任すなりけり
良寛が育てていたのは花だけではありません。五合庵にいた頃でしょうか、来客(阿部定珍でしょうか)に山の畑にまいて育てた大根をふるまった良寛の歌があります。大根や菜っ葉くらいは草庵の周りで育てていたようです。
あしびきの 国上(くがみ)の山の 山畑(やまばたけ) 蒔(ま)きし大根(おおね)ぞ あさず食せ君 あさず…残さずに
花の歌
花を愛した良寛には、数々の花の歌があります。
その上(かみ)は 酒に浮けつる 梅の花 土に落ちけり いたづらにして
いたづらに…むなしく
久方(ひさかた)の 天ぎる雪と 見るまでに 降るは桜の 花にぞありける 久方の…天の枕詞 天ぎる…空一面に曇る
むらぎもの 心は なぎぬ 永き日に これのみ園(その)の 林を見れば むらぎもの…心の枕詞
何ごとも 移りのみ行く 世の中に 花は昔の 春に変はらず
山吹の 花を手折(たお)りて 思う同士(どし) かざす春日は 暮れずともがな
鉢の子に 菫(すみれ)たむぽぽ こき混ぜて 三 世(みよ)のほとけに 奉(たてまつ)りてな こき…接頭語 三世…過去、現在、未来
道のべの すみれ摘みつつ 鉢の子を 忘れてぞ来し その鉢の子を
子どもらよ いざ出でいなむ 弥彦(いやひこ)の 岡のすみれの 花にほひ見に
この宮の み坂に見れば 藤波の 花の盛りに 咲きにけるかも
秋の野を 我が越えくれば 朝霧に 濡れつつ立てり 女郎花(おみなえし)の花
たまぼこの 路(みち)惑ふまで 秋萩は 咲きにけるかも 見る人なしに たまぼこの…路の枕詞
秋の日に 光り輝く すすきの穂 これの高屋に 登りて見れば
秋の野(の) 千種(ちぐさ)押しなみ 行くは誰が子ぞ 白露に 赤裳(あかも)の裾(裾)の 濡れまくもをし (旋頭歌)
自然を詠んだ漢詩
良寛には自然の美しさに心動かされる思いを詠った漢詩があります。
芳草(ほうそう) 萋萋(せいせい)として 春将(まさ)に莫れんとし
桃花 乱点として 水悠悠たり
我も亦(また) 従来 忘機(ぼうき)の者なるに
風光に悩乱して 殊(こと)に未(いま)だ休(や)まず
(訳文)
萌えだした草はみずみずしく、春の日はいま暮れようとしている。
(親友の有願が住んでいた新飯田の)桃の花はあちらこちら咲き始め、(中ノ口川の)水はゆったり流れ ている。
私もまた、分別心やはからいを棄てて無心に生きる人間なので(桃花や水と同じように諸法実相・真実 の姿であるので)
美しい自然の風光(諸法実相の真理の現成=自然の摂理)に魅了され続けている(自然の摂理と一体と なって生きている)
良寬は草庵の中や外で、様々な音を聞いています。美しい自然は見ることだけでなく聞くことでも味わうことができるのでしょう。そんな漢詩があります。
蕭条(しょうじょう)たり 三間(さんげん)の屋(おく)
終日 人の観る無し
独り間窓の下に坐し
唯(た)だ落葉の頻(しき)りなるを聞く
(訳文)
さびしい三間四方の小さな草庵、
一日中訪れる者はいない。
一人窓の下で坐禅をしていると、
ただ、しきりに落葉の音があるのみ。
薪(たきぎ)を担つて 翠岑(すいしん)を下る 翠岑 路(みち)平らかならず
時に息(いこ)ふ 長松の下
静かに聞く 春禽(しゅんきん)の声
(訳文)
薪を背負って、険しい山道を下る。
山道は平坦ではない。
ときに高い松の木の下で休息する。
静寂の中、春の小鳥のさえずりが聞こえてくる。
平凡に繰り返す自然の営みは仏法の真理そのものであることを詠った漢詩があります。
花 無心にして蝶を招き
蝶 無心にして花を尋(たず)ぬ
花 開く時、蝶来り
蝶 来る時、花開く
吾れも亦(また)人を知らず
人も亦吾れを知らず
知らずして帝の則(のり)に従う (訳文)
花は招こうという心がなく、自然に蝶を招き寄せる。
蝶は尋ねようという心がなく、自然に花を尋ねる。
花が開くときには、自然に蝶が来る。
蝶が来るときには、自然に花が開いている。
同じように、私も他人のことなどは眼中になく、
他人も私のことなどは眼中にもないようになれば、
(お互いが、他人と比べて足りないものを求めるという心がないから、堯(ぎょう)や舜(しゅん)の時代のように、)
だれもが、知らず知らずのうちに、天帝の定めた天地自然の運行の法則に従って、一切が足りた思いで、生きていけるのだ