中央区・東区のゆかりの地
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県立図書館の庭内に良寛碑「一二三、いろは」がある。昭和15年に建碑された。県立図書館は昭和28年に現在の新潟市役所の地に移転し、さらに現在の鳥屋野潟のほとりに移転した。図書館の移転に伴いこの碑も移転した。碑陰に相馬御風の解説がある。
【碑陰】
良寛和尚の人格と芸術とは越後の輝ける至宝の一なり。而してその春光和陽の如き薫化は、今や全国にあまねし。ここにわれら同志、和尚の墨蹟中の逸品を医師に刻し、これのよき地を卜(ぼく)し、請うて以て之を建つ。ああこの双行の文字、何ぞそれ簡にして明なるや。しかもその語意何ぞぞれ深にして遠なるや。童児以て親しみ歓ぶべく、達人なほ味無量ならん。さらにその風韻至妙なる書に至りては正に神品と称すべし。
あづさゆみ はるのちまたに こどもらと
まりつくほふし いまあらなくに 相馬御風しるす
皇紀二千六百年陽春吉日
古町通り4番町の考古堂書店ビルの外壁に良寛の壁画があり、歌碑も嵌め込まれている。壁画の原作は河内舟人画伯。歌碑の彫金は亀倉蒲舟。昭和41年建立。
【碑面】 【通読】
世能中耳 世の中に
末之良奴東 まじらぬと
爾者 安羅禰止毛 には あらねども
悲登利 ひとり
安處非曽 遊びぞ
和禮ハ 我は
末左禮留 良寛書 勝れる 良寛書
古町6番町に良寛像と詩碑がある。平成12年新潟良寛会建立。良寛像は茂木弘次作。
【碑面】
余持鉢到新潟逢有願老子説法白衣舎因有偈二首
似欲割狗肉 当陽掛羊頭
余亦同臭者 優優卒未休
伊余疎慵者 乞食此地游
逢着鬧市裏 一笑共悠悠
【通読】
余鉢を持して新潟に到り 有願老子の法を白衣(びゃくえ)舎に説くに逢う因(よっ)て偈二首有り
狗肉を割(さ)かんと欲して 当陽 羊頭を掛くるに似たり
余も亦(また)臭を同じくする者 優優 卒(にわ)かには未だ休(や)まん
伊(こ)れ余は疎慵(そよう)の者 乞食して此の地に游ぶ
逢着す 鬧市(どうし)の裏(うち) 一笑して 共に悠悠たり
【 訳 】
私は托鉢に新潟に行き、有願老が在家の家で仏法を説いているところに出会った。そこで偈を二首作った。
(有願の説法は)犬の肉を売ろうとして、昼間に羊の頭を看板として掲げる(釈尊)に似ている(釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)で法華経の説法をすると言って(羊頭を掲げて)、花を拈(ねん)じた(狗肉を売った)ようなものだ。釈尊は仏法の道理とはといったような言葉で説く説法をしないで、美しい花は見たとおりただ美しい、すべての存在は仏法の真理を現成しており、このことは言葉で伝えることはできない、と花を拈っただけの無言の説法をした。つまり、仏法は「不立文字(ふりゅうもんじ) 教化別伝(きょうげべつでん)」であることを無言で説いた。それを理解した迦葉(かしょう)だけがにっこり微笑んだ。釈尊が法華経を説法すると言って(羊頭)「不立文字 教化別伝」という正しい仏法を花を拈って示した(狗肉)ように、「不立文字 教化別伝」(羊頭)であるべき禅僧の有願が、今の僧たちは説くことがない正しい仏法を直接民衆に説く(狗肉)という点で、有願は釈尊と似ている。)
私も亦有願と同じ犬の臭いを追う仲間である。何ものにもとらわれずにゆったりと生きながら、この臭いを追うことをすぐにやめることはない。(「不立文字 教化別伝」でなければならない禅僧である有願が、正しい仏法を民衆に直接説いているのは、「不立文字 教化別伝」という羊の看板を掲げて、辻説法という犬の肉を売ろうとしているようなもので、犬の臭いに充ちている。有願と同様に、私もこの犬の肉の臭いを追い求める仲間である。なぜなら、私も「不立文字 教化別伝」でなければならない禅僧でありながら(羊頭)、有願のような言葉での辻説法という方法とは異なるが、詩歌や書の布施、さらには托鉢行の中で行う布施、愛語、利行、同事という菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)の実践という行動(狗肉)で、正しい仏法を説いているのだから。そして私が、この犬の肉の臭いを追い求めること、すなわち正しい仏法を、「不立文字 教化別伝」すなわち無言の以心伝心ではなく、行動で説くことは、すぐにやめることはない。それは生きている限り続けなければならないものなのだ。)
私は愚鈍でものごとにこだわらない。(求める悟りも捨てる煩悩もない境地)。(衆生済度のための菩提薩埵四摂法の実践である)托鉢をして此の地(新潟)に来た。
賑やかな新潟の町の中で有願老と出会った。二人とも悠悠としていたので、(ゆったりした優游たる境地で、良寛は托鉢行、有願は辻説法という衆生済度の菩薩行を実践していたので、)一緒に大笑いした。
古町通2番町にある良寛の情報発信拠点。
開庵時間11時~16時 トイレあります。
休庵日毎週 水曜日、お盆(8月13~16日)、年末年始(12月29日~1月3日)
サービス内容
・良寛関係書籍の閲覧
・良寛関係の書画(複製含む)の鑑賞
・DVD、紙芝居の鑑賞
北方文化博物館新潟分館
江南区にある伊藤家の別邸であった。全国良寛会の本部がここにあり、会津八一や良寛の遺墨を展示している。会津八一は昭和21年から亡くなる昭和31年までの10年間をここで過ごした。
西堀通り8番町の勝楽寺の本堂前に、こしの千涯の描く手まりを持った良寛画像と詩が刻まれた碑がある。平成元年新潟良寛会建碑。千涯に寄せる日本画家・津田清楓の言葉が副碑に添えてある。
【碑面】 【通読】
袖裏毬子直千金 袖裏(しゅうり)の毬子 直(あたい)千金
謂我好手無等匹 謂(い)ふ我 好手にして等匹無しと
箇中意旨若相問 箇中の意旨 若(も)し相問はば
一二三四五六七 一二三四五六七
【 訳 】
袖の中の手毬は千金の値打ちがある
わたしこそ手毬の名人であって、同じ腕前の人などいない
手毬の極意(奥深い仏法の極意)を尋ねるならば
一二三四五六七(普通でありのまま、そして無限、それが仏法)と答えよう
西大畑公園に「良寛さん遊ぼ」像がある。良寛没後180年を記念して、平成23年に新潟良寛会が建立。像の作者は峰村哲也、銘板の揮毫は加藤僖一。
西海岸公園ドン山近くの林の中に、越後に関係した文人の碑とともに、この良寛詩碑(風定まりて…)がある。 昭和58年新潟良寛会建碑。
【碑面】 【通読】
風定花尚落 風定まって 花尚(な)ほ落ち
鳥啼山更幽 鳥啼(な)いて 山更に幽(しずか)なり
観音妙智力 咄 釈良寛書 観音妙智力 咄(とつ) 釈良寛書
【 訳 】
風が吹きやんでも花は落ち 鳥が鳴いても山は静か
(この動中静、静中動の現象一つとっても、)
観音の妙なる智慧の力だ 釈良寛書
新潟市歴史博物館
信濃川の左岸沿い柳都大橋と河口の中程に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)がある。旧新潟税関庁舎が隣接。飴屋万蔵の看板などを所蔵。
東区の臨港一丁目の神明神社境内に良寛歌碑(この宮の…)がある。
神明宮の創建は寛永10年(1633)と古く、数度の移転を経て昭和12年に現在地に遷宮した。 境内で遊ぶ多くの子どもたちが健やかに育ってほしいとの地元有志の思いから、良寛研究家宮栄二の助力で昭和49年に完成した。
【碑面】 【通読】
許能美也能 この宮の
裳理能己之當尓 森の木下に
己東毛羅東 安所 子供らと 遊
布春留非盤 久礼 ぶ春日は 暮れ
数東毛与之 良寛書 ずともよし 良寛書