新潟県内のその他の良寛ゆかりの地

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1 聖籠町 宗龍寺跡
2 新発田市 紫雲寺観音院
3 新発田市 常念寺良寛手植えの菩提樹
4 新発田市 ふるさと会館詩碑
5 新発田市 旧斉藤家
6 阿賀町 宝来寺句碑
7 糸魚川市 直指院詩碑
8 糸魚川市 相馬御風邸
9 糸魚川市 相馬御風記念館
10 佐渡市 良寛の母の生家跡碑・詩碑
11 佐渡市 良寛の母の碑
12 佐渡市 大乗寺

宗龍寺

 聖籠町に、良寛の相見の師である大而宗龍(だいにそうりゅう)ゆかりの宗龍寺という貴重な建物があったが、老朽化という理由で取り壊された。
 宗龍時跡地は現在、聖籠町歴史資料展示館が建てられており、内部に大而宗龍の位牌などの資料が展示されている。

紫雲寺観音院

 紫雲寺に観音院がある。良寛に影響を与えた大而宗龍が住職をしていた。

歴代住職墓碑
 観音院の裏に歴代住職の墓碑がある。

常念寺

 新発田市五十公野(いじみの)の常念寺に良寛お手植えと伝わる菩提樹がある。

旧斉藤家

 五十公野から東にある新発田市米倉の斎藤家を、良寛は訪ね、漢詩(題藤氏別墅)を賦している。

ふるさと会館 良寛詩碑

 五十公野のふるさと会館良寛に良寛が斎藤家を訪れた際の漢詩(題藤氏別墅)の一部を刻んだ詩碑がある。平成8年建碑。
【 碑面】
去城一里餘
偶伴采樵行
夾路青松直
隔橋野梅香
家中何所在
詩書盈長牀
良寛

宝来寺 良寛句碑  

 阿賀町鹿瀬の曹洞宗金華山宝来寺に、昭和42年、今川魚心子こと文暁建碑の良寛句碑がある。
 良寛が雨のふる日、妹むらの嫁ぎ先である寺泊の外山家に立ち寄った。そのまま部屋に閉じ込められ、家人に「何か書を」とむりやり乞われ、困ったあげく、当意即妙にこの句が浮かんだのだろうか。
【 碑面 】    【 通読 】
安め能ふ流日   あめのふる日
波鞅者礼奈    はあはれな
利良寛坊     り良寛坊
    良寛書     良寛書

直指院

 相馬御風は良寛の研究や著述のために直指院に宿を借りた。

良寛詩碑
 糸魚川市本町の曹洞宗の寺院直指院(じきしいん)に良寛の詩碑がある。書は相馬御風。昭和5年、良寛和尚百年忌を記念して建碑。
【 碑面 】
 余将還郷至伊登悲駕波不豫寓居于客舎聞雨淒然有 作
一衣一鉢裁随身
強扶病身坐焼香
一夜蕭蕭幽窓雨
惹得十年逆旅情
【 通読 】
 余将(まさ)に郷に還(かえ)らんとして伊登悲駕波(いとい がわ)に至り、(ふよ)不豫なり、客舎に寓居し、雨の淒然た るを聞き作有り
一衣一鉢裁(わず)かに身に随ひ
強(し)ひて病身を扶(たす)け 坐して焼香す 
一夜 蕭蕭(しょうしょう)たり 幽窓の雨
惹(ひ)き得たり 十年 逆旅(げきりょ)の情
【 訳 】
 ふるさとに還ろうとして糸魚川に至ったが、病気になり、民 家に泊めてもらい、ものさびしい雨音を聞いて作った
一枚の衲衣と一個の鉢だけを身に付けている
あえて病気の身を起こして、線香をつけて坐禅をした
一晩中、窓の外にはものさびしげな雨が降っていた
十年もの行脚の旅の思い出が走馬燈のように頭を駆けめぐった (悟りの境地に到るまでの長かった修行の旅も終えてみれば瞬く間であった、月日は百代の過客であり、残り少ない人生もさらに修行を続けねばならぬ)

相馬御風邸

 糸魚川市大町に相馬御風の生家があり、公開されている(有料)。
 一階には会津八一と面談した和様応接室があり、二階には八畳一間の書斎がある。

相馬御風記念館(糸魚川市歴史民俗資料館)

 糸魚川市役所の隣に相馬御風記念館(糸魚川市歴史民俗資料館)がある。
 相馬御風生家奥の土蔵に展示していた良寛の遺墨や御風の遺品・著作などを昭和52年に移管し、展示している。(有料、月曜休館、月が祝日の場合は翌日休館)

良寛の母の生家跡
 良寛の母の生家は出雲崎橘屋の分家、佐渡相川橘屋で米問屋でした。

良寛の母の生家跡碑  
 その生家跡に「良寛の母の生家橘屋跡」碑があります。

良寛詩碑(中元歌)
 良寛の中元歌の詩碑もあります。
【 通読 】
 中元の歌
母去って悠悠 父も亦た去り
悽愴 哀(あいえん) 何ぞ頻頻たる
唯だ伯叔(はくしゅく)の双姨母(そういぼ)を餘し
伯は妙悟と号し 叔は妙真
妙真は去年の五月に逝き
去歳の中元 妙悟存す
冉冉(ぜんぜん)として 復(ま)た中元の節に至り
妙悟又た九原の人と作(な)る
去歳 京に去きて涕泣を為し
今歳 又た江湖の浜に移る
居移り節換りて 倍(ますます)相い思ひ
萍跡(ひょうせき) 暫(しばら)く留む 南北の身
蘋(ひん)を采り蘋を采る 澗(たに)の滸(ほとり)
涙を滴(おと)し遠く望む 紀水の墳
院を払ひ営を修す 蘭盆の会
蕭蕭たる唄韻(ばいいん) 朱幡(しゅばん)に映ず
時に亦(ま)た涼飆(りょうひょう) 颯爾(さつじ)として至り
昏昏たる六合の塵を洗掃す
雨過ぎて蕉影 斜陽に横たはり
依稀(いき)として 又た見る来格の神
神は供を享け已り 衆は院に帰り
更に結ぶ 恬談(てんたん)無為の因
君に勧む 永く淪胥(りんしょ)し去る莫(なか)れ
早く川舟を艤(ぎ)して要律(ようしん)を渡れ
【 訳 】
 中元の歌(盂蘭盆の日に詠んだ歌)
母が亡くなってから月日がたち 父もまた亡くなった(寛政7年1795年)
悲しく嘆かわしいことがどうしてたび重なるのか
ただ母方の伯母と叔母が残るだけである
伯母を妙悟といい、叔母を妙真といった
妙真は去年の5月に亡くなり
妙悟は去年の盂蘭盆の日には存命していた
月日が過ぎまた盂蘭盆の時節がきてみると
妙悟もまたあの世の人となった
去年(寛政8年1796年)京都に行き、父の一周忌で涙を流した
今年 また修行の地である円上寺潟のほとりの国上山に移った
居所が替わり時節が移って、ますます亡くなった肉親のことが思い出される
浮き草のように南北に漂う雲水の身をしばらく国上山に留めている
谷間の水辺で清い水草を摘んで父の霊前に供え 
涙を流しながら、父が入水したはるか遠くの桂川のほとりに思いを馳せる
去年の盂蘭盆の頃、寺院を払い清めて父の一周忌の法要が営まれた
ものさびしい読経の声が紅い旗がはためく中に響いた
ちょうどそのとき雨まじりの涼しい風がさっと吹き込んできた
うす暗い天地四方の塵を洗い流してくれた
雨が通り過ぎて夕日が射し、境内の芭蕉の影が地面に長く横たわった
その影がぼんやりと見えて、亡くなった人の魂が現れたように思われた
み霊(たま)が供養を受け終わり、僧侶たちが寺院に帰ったあと
あらためて安らかで無為となる仏法との因縁を結んだ
君たちに勧告する いつまでも煩悩の世界に迷い続けることなく
早く川舟に乗っ、彼岸の悟りの世界に渡りなさい 

相川郷土博物館隣 良寛の母の碑

 佐渡市郷土博物館の隣に「良寛の母の碑」があります。
 後に良寛の母「秀」となる「のぶ」は佐渡相川橘屋の山本庄兵衛の長女でした。
【 碑面 】      【 通読 】
堂良ち祢の者々可  たらちねの ははが    
加多み登あ散    かたみと あさ     
由ふ尓佐度能    ゆふに 佐渡の      
志まへ遠宇ち見   しまべをうち見    うち見つるかも…眺めているよ 
都留可母  良寛  つるかも   良寛 

大乗寺

 佐渡相川橘家山本家の菩提寺である大乗寺には、良寛の母の骨も分骨された相川の山本家の墓碑がある。 「相川橘屋墓所」大乗寺に相川橘屋の墓所がある。