貞心尼ゆかりの地

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柏崎市

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長岡市

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魚沼市 マップ 

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柏崎市

閻王寺跡

 日本海に面した番神堂の近くに閻王寺(えんおうじ)跡はある。
 小出の医師関長温と離婚した奧村マス(貞心尼)は、文政3年(1820)23歳のとき、柏崎の下宿新出(しもじゅくしで)にあった西光寺の末寺の閻王寺という尼寺で、心竜尼・眠竜尼姉妹の弟子となり、仏門に入り剃髪する。ここで29歳まで修行を積み、長岡の福島(ふくじま)にある閻魔堂に移る。

 釈迦堂跡

 貞心尼が44歳から柏崎大火で焼失するまでの10年間住んでいた釈迦堂(しゃかどう)の跡。
 良寛貞心唱和歌碑
 唱和の歌碑は昭和57年有志により建立された。
【通読】
君にかく あい見ることの 嬉しさも 
まだ覚めやらぬ 夢かとぞ思ふ (貞心尼)
夢の世に かつまどろみて 夢をまた 
語るも夢も それがまにまに(良寛)

不求庵跡
 

 貞心尼が嘉永4年(1851)54歳の頃から、明治5年(1872)75歳で亡くなるまで住んでいた終(つい)の棲家であった庵の跡。
それまで住んでいた釈迦堂は嘉永4年の柏崎大火で焼失したが、貞心尼の歌仲間である山田静里翁等のはからいで、不求庵(ふぐあん)が建てられた。場所は広小路真光寺の境内にあった。不求庵もその後の大火で焼失し、今は寺もなく、道路脇に「貞心尼不求庵跡」の標柱と案内板によって知るのみである。

常福寺
遍澄筆良寛画像

 釈迦堂にあった貞心尼の所持品は現在常福寺が所蔵している。 
 その中に弟子の遍澄が描き、弟の由之が讃をした良寛の肖像画もある。寺で展示しているのはレプリカ。

極楽寺 

 極楽寺は浄土宗の寺院。貞心尼が晩年過ごした不求庵は極楽寺末寺の真光寺境内の一隅にあった。不求庵時代貞心尼は、極楽寺第28世静誉(じょうよ)上人からいろいろと援助を受けている。
 極楽寺には、貞心尼筆の和歌560首余りを載せる歌集「もしほ草」をはじめ、数々の貞心尼の遺墨、上人が描いた貞心尼晩年の病中の肖像画などが今も所蔵されている。

洞雲寺 
 柏崎市にある曹洞宗の寺院。
 貞心尼は洞雲寺(とううんじ)の第25世の住職泰然(たいぜん)和尚から、天保12年(1841)44歳の時、正式に得度を受けた。泰然和尚は心竜尼・眠竜尼の兄弟である。
貞心尼墓碑


 洞雲寺には貞心尼の墓碑がある。明治5年建碑。
 貞心尼の墓碑の中央に「孝室貞心比丘尼墳」、右に貞心尼辞世の歌
「来るに似て 帰るに似たり 沖つ波 立ち居は風の 吹くにまかせて」、
左に「乾堂孝順比丘尼 謙外智譲比丘尼」と弟子の尼僧の名が刻されている。

良寛貞心唱和歌碑

 境内に平成3年に建立された良寛と貞心尼の唱和(恋学問妨)の歌碑がある。建碑者の中村昭三は中村文庫の寄贈者中村藤八翁の孫にあたる。
【通読】  
 恋学問妨
いかにせん 学びの道も 恋草の 
しげりて今は ふみ見るもうし  貞心
いかにせん 牛に汗すと 思いしも 
恋の重荷を 今はつみけり  良寛

ソフィアセンター(柏崎市図書館)
 ソフィアセンター(柏崎市立図書館)には中村藤八翁が長年蒐集した古文書などの歴史的な資料を図書館に寄贈した中村文庫がある。この中村文庫の中に、貞心尼自筆の『はちすの露』などが含まれている。
良寛貞心唱和歌碑                                                    

歌碑は中村昭三が平成8年図書館の竣工記念に建立寄贈した。
【通読】 
  はじめてあい見奉りて
にかく あい見ることの 嬉しさも 
まだ覚めやらぬ 夢かとぞ思ふ (貞心尼)
  御かへし
夢の世に かつまどろみて 夢をまた
語るも夢も それがまにまに (良寛)
托鉢貞心尼像

 平成9年に貞心尼生誕200年を記念して、柏崎良寛貞心会が建立した。制作は富山県高岡市の石黒春海のイメージ画により、夫の孫七が青銅鋳造した。

駅前通り貞心尼歌碑群   

 柏崎駅北口から海に向かう通りには、貞心尼の歌碑が12基立ち並んでいる。平成5年に県が建立した。 
 歌は「もしほ草」、「やけのの一草」、「蓮の露」から選んでいる。
 駅から海に向かって右側に7基ある。駅側から順に
【通読】      
●かきおくも はかなきいその もしほぐさ 
 見つつしのばむ 人もなき世に
●秋もやや 夜さむになれば はたおりや 
 つづれさせてふ むしのなくなり
●あとは人 先は仏に まかせおく 
 おのが心の うちは極楽
●いつまでも たえぬかたみと おくるなり
 わが法の師の みづくきの跡
●露に身に あまりてけふは うれしさの
 おき所なき 草の庵かな
●朝げたく ほどはよのまに ふきよする 
 木の葉や風の なさけなるらむ
●うたやよまむ てまりやつかん 野にやでむ  
 きみがまにまに なしてあそばむ


 駅から海に向かって左側に5基ある。海側から順に
【通読】
●沖遠く 入日の影を したふまに 
 はやさしのぼる 山の端の月
●あまの子は さくら貝をや ひろふらん 
 なみの花ちる いそづたいして
●かりそめの 草の庵りも ことの葉の
 花さく宿と なるぞうれしき
●おのづから 心もすめり くもりなき 
 鏡が沖の 月に向へば
●きてみれば 雪かとばかり ふる里の 
 庭のさくらは ちりすぎにけり

貞観園 

  旧高柳町(現柏崎市)に日本庭園の美しい貞観園があり、峨眉山下橋杭を展示している。           峨眉山下橋杭

 江戸時代に、柏崎の宮川浜に流れ着いた木柱には「峨眉山(がびさん)下橋」と彫られている。唐土からのものと思われ、鈴木牧之の『北越雪譜』にも紹介された。
 良寛も漢詩(じょんのび村の詩碑)を詠んでいる。

じょんのび村 
 旧高柳町(現柏崎市)のじょんのび村に詩碑と良寛像がある。                       良寛詩碑

【碑面】              【通読】                                               
  題蛾眉山下橋杭    蛾眉山下の橋杭に題す                                   
不知落成何年代        知らず 落成 何れの年代ぞ                                 
書法遒美且清新        書法 遒美(しゅうび)にして且(か)つ清新   遒美…強く美しい
分明蛾眉山下橋        分明なり 蛾眉山下の橋                                    
流寄日本宮川濱        流れ寄る 日本宮川の濱                                                         良寛像

 詩碑の近くに、良寛像が刻まれた碑もある。

長岡市

閻魔堂
 

 長岡市福島(ふくじま)にある閻魔堂は貞心尼が三十歳の文政10年(1827)3月に移り住んだ草庵。 その年の秋、70歳の良寛と初めて逢う。それから良寛が示寂するまでの4年間、信濃川や塩入峠を越えて島崎の木村家の良寛のもとまで通ったという。
 貞心尼は44歳までここに住み、その後は柏崎で暮らした。今の建物は平成7年に再建された。
 閻魔堂跡石柱
  堂の近くの農地の中に、「貞心尼居住閻魔堂後」と刻まれた石柱がある。
 貞心尼歌碑(あさげたく)

 堂の隣に貞心尼歌碑がある。昭和32年貞心尼思慕会、長岡童話研究会建碑。歌は貞心尼の遺稿「もしほ草」から選んだ
【通読】
あさげたく ほどは夜のまに 
吹くきよする 落葉や風の 
なさけなるらむ                                             貞心尼歌碑群
  閻魔堂への参道に近年、貞心尼の歌碑群が建てられた。
【碑面】
古礼所許能 本東気乃美知尓 安所ひつゝ 都久や川き世ぬ 
美能里な留良無
【通読】
これぞこの ほとけのみちに あそびつつ
つくやつきせぬ みのり(御法)なるらむ
【碑面】
おのつ可良 ふ由能日閑数の 
久礼遣波 ま川東毛奈きに 
者留は来尓気利
【通読】
おのつから ふゆのひかずの 
くれゆけば まつともなきに はるはきにけり
【碑面】
散めぬ礼者 や見毛悲可利
奈閑利遣里 ゆ面路呼て良数
阿利安遣能都き
【通読】
さめぬれば 闇も光も なかりけり
夢路を照らす 有明の月
 閻魔十王像  
閻魔堂の中に閻魔十王像がある。

信濃川堤防  貞心尼歌碑(夕されば)

 蔵王橋のやや上流の信濃川右岸の堤防に貞心尼の歌碑がある。平成7年長岡良寛の会建立。貞心尼の仮寓する福島村(現長岡市福島)と師良寛の住む和島村(現長岡市島崎)との間には信濃川が横たわっていた。川のみぎわで師(良寛のあだ名は蛍)を偲んでこの歌を詠ったのであろう。
【通読】
夕されば もゆるおもひに たへかねて 
みぎはの草に ほたるとぶらむ

長岡駅構内良寛像

 JR長岡駅内に良寛像がある。 昭和58年、上越新幹線開通を記念して長岡東ロータリークラブが寄贈。制作者:元井達夫。
  このすみれを手に持つ良寛像は、托鉢の途中、野に咲くすみれを摘むのに夢中になって、大切な鉢の子(応量器)を忘れたほほえましい逸話に基づいている。

良寛歌碑
 良寛像の台座に良寛歌碑がある。
【碑面】       【通読】 
美知能部爾       みちのべに 
春美礼川美       すみれつみ  
川々波知能       つつ はちの
己遠者春礼       こを わすれ 
天處己之所       てぞこし そ  
能者知乃己       のはちのこ   
遠  良寛       を  良寛 

西楽寺旋頭歌碑   

 長岡バイパスの東側の千代栄町の浄土真宗西楽寺の境内に良寛の旋頭歌碑がある。昭和59年、建碑。
【碑面】
也萬當都能 無
可悲乃遠可耳
散遠志閑堂轉理
可美那川幾 之久礼
能安女爾
奴連川々當天里
【通読】
山たづの む
かひの岡に
さを鹿立てり
神無月 時雨(しぐれ)
の雨に
濡れつつ立てり