良寛さまと貞心尼 │ 出会い(文政十年) │ 文政十一年 │文政十二年 │ 文政十三年・天保元年 │ 遷化(天保二年) │ 貞心尼の後半生 │ |
遷化(天保二年(一八三一) 良寛七十四歳、貞心尼三十四歳)
遷化
病気が重篤になられて、薬やご飯も絶たれているとお聞きして
かひなしと 薬も飲まず 飯絶(いひた)ちて 自ら雪の 消ゆるをや待つ (貞心尼)
御返歌
うちつけに 飯絶つとには あらねども 且(か)つやすらひて 時をし待たむ (良寛) うちつけに…だしぬけに 且つ…少しだけ
下痢を伴う病状が悪化した良寛さまは、下痢を止めるために食事を絶ち、次いで薬も絶たれました。自然に命の灯(ともしび)が消えて行く時を待たれたのです。
来るに似て 帰るに似たり 沖つ波(貞心尼) 明らかりけり 君が言の葉 (良寛)
「寄せては返す沖の波のように、命というものも、生まれて来ては、死んで還って行くのですね」と、貞心尼が唱(うた)うと、良寛さまは「あなたのおっしゃることはそのとおりで実に明らかなことです」と和(こた)えました。
この貞心尼の前句(まえく)(五七五)に、良寛さまが付句(つけく)(七七)で和えた短連歌で『蓮(はちす)の露』の唱和編は終わっています。