出会い(文政十年)

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 良寛さまと貞心尼 │ 出会い(文政十年) │ 文政十一年 │文政十二年 │ 文政十三年・天保元年 │ 遷化(天保二年) │ 貞心尼の後半生 │

出会い(文政十年(一八二七) 良寛七十歳、貞心尼三十歳)

(貞心尼『蓮(はちす)の露』などより、詞(ことば)書きは訳してあります。)

 春の最初の訪問 

 文政十年の四月十五日頃、良寛さまがいつも子供たちと手毬(てまり)をついているということを聞いていた貞心尼は、手毬を持って島崎の木村家庵室の良寛さまを訪ねました。
 しかしながら、良寛さまは寺泊の照明寺(しょうみょうじ)密蔵院(みつぞういん)に出かけており、不在だったのです。そこで貞心尼は次の和歌を木村家に託して良寛さまに渡してもらうことにしたのです。          

  お師匠様はいつも手毬(てまり)でこどもたちと遊ばれるとお聞きして、手毬に添えた歌                

これぞこの 仏の道に 遊びつつ                                             つくや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ  (貞心尼)                          御法…仏法 

 六月に貞心尼からの手毬と和歌を受け取った良寛さまは貞心尼に次の歌を返しました。

  御返歌
つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九(ここ)の十(とを) 
十とおさめて またはじまるを  (良寛)

 この歌の「つきてみよ」には手毬をついてみなさいという意味と、私について(弟子になって)みなさいという意味が込められているようです。

秋の最初の相見

 それから秋になって、貞心尼は初めて良寛さまに逢うことができました。その時の唱和の歌です。

  はじめてお目にかかって                                       君にかく あい見ることの 嬉しさも                                           まだ覚めやらぬ 夢かとぞ思ふ (貞心尼)                                         かく…こうやって

  御返歌
夢の世に かつまどろみて 夢をまた                                          語るも夢も それがまにまに (良寛)                                             まにまに…なりゆきにまかせよう

 その日貞心尼は熱心に良寛さまの仏道のお話しを聞いていましたが、夜が更(ふ)けてきたので、良寛さまは次の歌を詠みました。

  ご丁寧に仏道についてのお話しをされているうちに夜も更けたので
白妙(しろたえ)の 衣手(ころもで)寒し 秋の夜の                                    月なか空に 澄みわたるかも (良寛)                                         白妙の…衣にかかる枕詞 衣手…着物の袖のあたり

 この歌の月は仏法の象徴であり、月が澄みわたっているということは、仏法の真理は明白だということでしょう。あわせて、月が空高く昇り、夜も更けたことから、今日はこれくらいにしましょうという意味を込めた歌でしょうか。
 夜が更けても、まだまだお話を聞きたいと思った貞心尼は次の歌を返しました。

  それでもまだお話をお聞きしたい気がして
向かひゐて 千代も八千代も 見てしがな                                         空ゆく月の こと問はずとも (貞心尼)

 「仏法の象徴である月をいつまでも見ていたい、仏道の話をもっと聞いていたいのです。空行く月は言葉(仏法の真理)を言わないとしても、良寛さまから仏道の話を聞き続けたいのです」というような歌意でしょうか。
 一方で「良寛さまと向かい合っていつまでも良寛さまを見ていたいのです。空行く月は何も言わないように、良寛さまが私に何も話をしなくとも」というような意味にもとることができるかもしれません。この歌に対して、良寛さまは次の歌を返しました。

  御返歌
心さへ 変はらざりせば 這(は)ふ蔦(つた)の                                      絶えず向かはむ 千代も八千代も (良寛)

 「仏道を極めようという心さえ変わらなければ、蔦がどこまでも伸びていくように、いつまでも向かい合って、お話をしましょう」という意味でしょう。この歌を聞いて、貞心尼は次の歌を返しました。

  ではこれでおいとましますと申し上げて
立ち帰り またも訪(と)ひ来む たまぼこの                                         道の芝草 たどりたどりに   (貞心尼)                                 たまぼこの…道の枕詞

 さらに良寛さまは貞心尼に次の歌を返します。

  御返歌
またも来よ 柴の庵(いほり)を 嫌(いと)はずば                               すすき尾花の 露を分けわけ (良寛)                                            すすき尾花…すすきの花穂

 こうして二人が初めて出逢った日から、貞心尼は良寛さまの仏道の弟子となり、手紙のやりとりや貞心尼の良寛さまへの訪問が続きました。
 やがて、お互いの心が通い合い、良寛さまが遷化するまで二人の心温まる交流が続きました。

秋から冬の手紙のやりとり

  しばらくして、お師匠様からお手紙が届きました。その中に
君や忘る 道や隠るる この頃は                                           待てど暮らせど おとづれのなき (良寛)                                  おとづれ…音信

  御返歌をさしあげて
  これは柏崎の人の庵りにいたときのこと
ことしげき 葎(むぐら)の庵に 閉ぢられて                                       身をば心に まかせざりけり (貞心尼)

山の端の 月はさやかに 照らせども                                           まだ晴れやらぬ 峰のうす雲 (貞心尼)

 「すすきの穂が咲く季節にまた来なさい」と言ったのに、しばらくの間、音信がなかったため、良寛さまは催促の歌を手紙で送りました。
 貞心尼は柏崎の心竜尼・眠竜尼のいる寺で修行していたのか、自由に行動できないでいるという歌や、まだ自分の心の中は、うす雲がかかっている(迷いがある)という歌を手紙で良寛さまに送りました。
 その手紙を見て、良寛さまはさらに、次の励ましの歌を送りました。

  御返歌
身を捨てて 世を救う人も 在(ま)すものを                                       草の庵に 暇求むとは (良寛)

久方の 月の光の 清ければ                                               照らしぬきけり 唐も大和も 昔も今も 嘘も誠も (良寛)                         久方の…月の枕詞

晴れやらぬ 峰のうす雲 立ち去りて                                             のちの光と 思はずや君 (良寛)