誤解されている良寛

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誤解されている良寬

 近年の日本の経済至上主義の風潮によって、良寛の生き方に価値を認めない人が増えてきました。それは、多くの人々が、良寛は寺の住職にもなれずに子供と遊んでばかりいた僧であり、芸術面で多少は才能があったかもしれないが、結局は落伍者、挫折者でしかなく、職業人としては社会に貢献しなかった人物という認識、すなわち「良寛挫折者観」を持ち、良寛の生き方は決して模範となるような生き方ではないという誤解された考え方が影響したためと思われます。
 経済的な繁栄よりも、人々が小さな命も大切にする愛の心を尊んでいた、かつての古きよき時代、良寛の逸話の本が多く出版されるとともに、小学生の国語の教科書や副読本には良寛の竹の子の逸話などが載っていたのです。

 良寛が僧としては挫折者だったと誤解される理由として、次の点が上げられます。

○ 仏教者として優れた学識を持ち、高い悟りの境地に達していたが、そのことをよく示す良寛の漢詩は難解で、一般の人々には、容易に理解することができるようなものではなかった。また、生前多くの人々が良寛の人格や徳の高さを理解していたが、それを文字で表現し、後世に伝えることは困難であった。

○ 天才的な僧として、寺にも住まず、説教もせず、子供たちと遊ぶという当時では考えられない独自の生き方を歩んだが、その真意は理解されず、表面的には住職にもなれなかった僧という印象を与えた。

○ 多くの奇行、奇話、逸話が遺され、一風変わった奇人変人という印象を与えた。