少年時代

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良寛の生涯 良寛の清貧の
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少年時代青年時代 │ 円通寺時代 │ 帰国・五合庵定住以前 │ 五合庵時代 │ 乙子神社草庵時代 │ 木村家庵室時代 │ 貞心尼との交流 │ 良寛の略年表 │

「清貧の生き方と慈愛の心」の以下の記述は、廉価頒布ガイドブック『良寬 清貧と慈愛の心』(72p)の内容と同じです。

家族
 良寛は佐渡からの金銀の積上げ港としても繁栄し、妻入りの街並みが続く北国街道の宿場町出雲崎町の名主・橘屋(たちばなや)の長男として、宝暦八年(一七五八)に生まれました。幼名は栄蔵といいました。
 父は与板の割元庄屋新木家の次男で橘屋に婿に入りました。俳句にすぐれ俳人としての名前「以南」で知られていました。
 母は佐渡相川にある橘屋の分家の娘「のぶ」という名前でした。そして、新津の桂家から出雲崎の橘屋に養子にきた新次郎に嫁ぎました。
 しかし、桂家の事情で新次郎は桂家に戻り桂家の当主となったため、のぶは出雲崎の橘屋の養女となり、その後以南と再婚しました。以南と結婚してからは名前を「秀」にかえたものと思われます。

三峰館
 栄蔵は十三歳の頃から、北越四大儒の一人と言われた儒学者の大森子陽が地蔵堂(燕市)で開いた学塾「三峰館(さんぽうかん)」に学びました。地蔵堂では親戚の中村家に下宿しました。