良寛さまと貞心尼 │ 出会い(文政十年) │ 文政十一年 │文政十二年 │ 文政十三年・天保元年 │ 遷化(天保二年) │ 貞心尼の後半生 │ |
遷化後幾ばくもない頃の良寛さまの妹・妙現尼と唱和した貞心尼の歌があります。
わかれては 立ちも帰らぬ さす竹の 君がかたみの 我身かなしも さす竹…君の枕詞
天保 四年 (一八三三) 貞心尼三十六歳
良寛さまの三回忌に墓碑建立。墓前での貞心尼の歌があります。
立ちそひて 今しも更に 恋しきは しるしの石に 残るおもかげ
天保 六年 (一八三五) 貞心尼三十八歳
貞心尼、初の良寛歌集『蓮(はちす)の露』を完成。
天保 九年 (一八三八) 貞心尼四十二歳
六歳の孝順尼が入門。
天保十二年 (一八四一) 貞心尼四十四歳
釈迦堂(しゃかどう)の庵主となる。
嘉永 四年 (一八五一) 貞心尼五十四歳
柏崎大火のため釈迦堂が焼け、不求庵(ふぐあん)に移る。『焼野の一草』が書かれる。
安政 六年 (一八五九) 貞心尼六十二歳
七歳の智譲尼が入門。
明治 五年 (一八七二)
貞心尼没する。享年七十五歳。
墓は柏崎の洞雲寺にあります。貞心尼の辞世の歌があります。良寛との最後の唱和の短連歌を踏まえているようです。
来るに似て かへるに似たり 沖つ波 たちゐは風の 吹くに任せて
いつ詠まれたかは分かりませんが、次の歌が書かれた貞心尼の遺墨が残っています。
恋は学問の妨げ
いかにせむ 学びの道も 恋草の 繁りて今は ふみ見るも憂(う)し (貞心尼)
いかにせん 牛に汗すと 思ひしも 恋の重荷を 今は積みけり (良寛) 汗牛充棟…蔵書の多いこと、多くの書籍