良寛関係人物 ワ行

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関係人物 ワ

渡辺秀英 わたなべひでえい

涌井金吾 わくいきんご

 

渡辺秀英 わたなべひでえい】(1910~2002)
 良寛研究の泰斗・琴舟道人こと渡辺秀英は明治四十三年に新潟市で生まれた。
 新潟師範学校を卒業。旧制高等学校漢文科教員試験合格。旧制鳥取師範学校教諭、新潟高等学校教諭、新潟大學講師などを歴任。良寛顕彰の父といわれる佐藤耐雪翁に「腰をすえて良寛研究に取り組んでほしい」と頼まれたことが良寛研究のキッカケ。最初は、良寛の妹・むら子とその嫁ぎ先の寺泊の外山家について調べた。それまで良寛の妹は、たか子、むら子、みか子の順番とされていたが、由之の旅日記にむら子を姉刀自と記述してあることから、むら子が長女であることを昭和三十五年に明らかにし、さらに宗門改帖から、むら子の年齢も明確にした。  

 次ぎに由之の研究に入り、由之の旅日記を調べて、日記に出てくる家を次々に訪問していった。その中で、昭和三十八年に、燕市小関の上杉篤興の家の当主上杉大蔵氏にお会いして、借り受けた資料の中から『木端集』(きのはししゅう)と題する良寛歌集の写本を発見した。そこに収められている良寛の「出家の歌」と歌論は貴重な資料となった。由之の研究は、平成十四年の『良寛の弟・山本由之』に結実した。

 主な編著書に昭和四十七年・平成九年の『いしぶみ良寛・正続』昭和四十九年の『校注大愚良寛』同年の『良寛出家考』や、良寛の詩歌を網羅した昭和四十九年の『良寛詩集』・昭和五十四年の『良寛歌集』等がある。『良寛出家考』は良寛の出家の根本動機に迫る力作である。『良寛詩集』『良寛歌集』については、墨蹟も写真で掲載しているほか、詩集では訳や注が、歌集では注があり、わかりやすい。また、平成元年には『木端集(復刻)解読・註/解説/上杉篤興伝』を、平成九年には良寛の墨美の名品を解説した鑑賞の手引き『良寛鑑賞』を著述した。さらに会津八一・館柳湾・巻菱湖に関する著作もある。漢文が専門なだけに、中国へは、詩碑が建立される前の昭和五十九年の峨眉山を含めて十回、台湾へも三回訪れ、漢字の文化に直接触れている。

 平成十三年には、永年にわたる良寛の研究や顕彰の活動が評価され、芸術・文化部門の新潟県知事表彰を受賞された。平成十四年に、九十二歳で逝去された。

【涌井金吾 わくいきんご】
氏名・号  唯左衛門(いざえもん)ともいう。
生没年
出身地
職業  旧分水町(現燕市)国上村の庄屋。
良寛との関係  乙子神社の宮額の裏に名前が記されている。良寛が内藤方廬に宮額の字をかいてくれるよう要請した。良寛は万葉集の抄本『あきのの』を作って涌井唯左衛門に送った。