子供たちと遊ぶ

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命あるものを愛する │ 子供たちと遊ぶ │ 農民に寄り添って生きる │ 花や自然を愛する │ 月のうさぎ │

 良寛は嘘偽りのない純真な子供が大好きでした。良寛そのものが子供のような純真な心だったのです。子供たちと一緒に遊んだ良寛は、子供たちと遊んでやったのではなく、良寛そのものが子供だったのです。
 「かくれんぼ」、「毬つき」などで子供たちとよく一緒に遊びました。このことは一面では、水と闘っていた時代の農民の親に代わって子供の面倒を見ていたのです。
 女の子の中には水害の年になると上州の木崎宿などに飯盛り女として売られていく子もいました。そんな過酷な運命が待っている子供たちと一緒に遊び、楽しい思い出を作ってあげたのです。
 子供たちと一緒に遊んだ和歌があります。

あづさ弓 春さり来れば 飯乞(いひこ)ふと 里にい行(ゆ)けば
里子ども 道のちまたに 手まりつく 我も交じりぬ
そが中に 一二三四五六七(ひふみよいむな) 汝(な)がつけば 我(わ)は歌ひ
我が歌へば 汝はつきて つきて歌ひて 霞(かすみ)立つ
永き春日(はるひ)を 暮らしつるかも (長歌)

霞立つ 永き春日を 子どもらと                                    手まりつきつつ この日暮らしつ 

この里に 手まりつきつつ 子どもらと                                      遊ぶ春日は 暮れずともよし

 子供たちと一緒に遊んだ漢詩があります。

青陽 二月の初め 物色 稍(やや)新鮮
此の時 鉢盂(はつう)を持し 得得として 市廛(してん)に遊ぶ
児童 忽(たちま)ち我を見て 欣然(きんぜん)として 相将(ひき)ゐて来(きた)る
我を要(ま)つ 寺門の前 我を携(たずさ)へて歩むこと遅遅たり
盂(う)を放つ 白石の上 嚢(のう)を掛ける 緑樹の枝
此に于(おい)て百草を闘はせ 此に于て毬児(きゅうじ)を打つ
我打てば 渠(かれ)且(か)つ歌ひ 我歌へば 渠之を打つ
打ち去り 又た打ち来(きた)り 時節の移るを知らず
行人(こうにん) 我を顧(かえり)みて咲(わら)ひ 何に因(よ)りて其れ斯(か)くの如くなるを
低頭して伊(かれ)に応へず 道(い)ひ得(う)とも也(ま)た何ぞ似ん
箇中(こちゅう)の意を知らんと要(ほっ)すれば 元来只(た)だ這(こ)れ是(こ)れのみ
(訳文)
春の二月初めは 自然の色がだんだんと鮮やかになる。
この時節、鉢を持って おもむろに町の店々を托鉢する。
子供たちはすぐに私を見つけ よろこんで一緒にやってくる。   
私を寺の門の前で待ち 私の手をひいてゆっくりと歩く。
白い石の上に鉢を放り 嚢(ふくろ)を緑樹の枝に掛ける。
そこで草ずもうをしたり 毬つきをする。
私が毬をつけば彼らは歌い 私が歌えば彼らは毬をつく
毬をうったりついたり 時のたつことに気が付かない
通りすがりの人が私を見て笑う どうしてそのようなことをしていなさるのか
私はうつむいたまま答えることができない 答えても答えになりそうもない
こうしていることの真意(奥深い仏法の極意)を知ろうとするならば
自己本来の面目とは、何のことはない、ただ見てのとおりの今の無心に遊ぶ自分の姿(を含むあるがままの世界)ということだったのだ。

 子供とかくれんぼをして子供たちがこっそり帰っても、良寛は朝まで隠れ続けていたという逸話や、竹の子の成長のために庇(ひさし)をこわそうとした逸話など、良寛の慈愛の心を伝える逸話が、今も多くの人々に伝わっており、良寛のやさしい心が「良寛のふるさと にいがた」の人々の心に染みこんでいるのです。